PCエンジン30周年を祝す その1

今から30年前の1987年10月30日に、NECの家電部門であるNECホームエレクトロニクスNEC-HE)からPCエンジンが発売された。
いやあ、懐かしい。もうそんなに経つんだねえ。私にとってPCEは、最も思い入れのあるハードと言っていいだろう。そこで自分の思い出などを振り返ってみようと思う。


PCE発売当時、私は小学4年生だった。
コロコロコミックかマル勝ファミコン、あるいは高橋名人が出演していたテレビ番組で、PCEというハードが発売される情報を知ってはいたが、その時は然程関心が無かった。
10歳かそこらのガキの小遣いで買えるものといったら、マンガ誌やゲーム誌くらいなもので(ファミマガですら高い!と感じていた)、ゲーム機本体なんてそう簡単に買えるものではなかったからね。


そんなPCEが我が家にやってきたのは、翌88年のこと。
兄が「R-TYPE I」と一緒に購入したようだ(お金の出処ははっきりしないが、両親や親戚から何たら祝いとかで貰ったのだろう。今思うに、兄はこの手のお祝いを私よりずっと貰っていたような気もするが、まァ昭和時代の長男と次男の扱いの差みたいなものだろう。仕方ないね)。
私も「R-TYPE I」をプレイさせてもらった。この時点では、これは凄いね、ファミコンより絵も音もずっと綺麗になったね!という程度の感想しか思い浮かばなかった。


ところが、だ。その年の年末にCD-ROM2が発売されると、私のPCEに対する評価は一変した。
なんたって、ゲームのキャラクターが喋るのだ! これがどれだけ衝撃的だったことか! 後にPS・SSが覇権を争う時代になると、3Dのキャラクターがグリグリ動くようになり、これはこれで凄いと感じたが、ゲームキャラが喋った時の衝撃と感動には敵わない。
そして89年に発売された「天外魔境ZIRIA」と「イースI・II」の2本に出合ったことは、私がキモオタ街道まっしぐらとなる決定的な出来事だった。ゲームのキャラが喋るようになり、このゲームの○○とあのアニメの××の声は同じだ!たーのしー! という感じで、声優に関する知識や興味が大いに高まっていったわけだ。
PCEは本体や周辺機器等が多くて高いというイメージが付きまとっていたが、他に先駆けてCD-ROMを起用したことは、もっと評価されてもいいと思う。


そして忘れてはいけないのが、所謂"ギャルゲー"だ。
ギャルゲーという言葉は、PCE嫌いのファミ通が、PCEを貶めるために用いていたというのが私の見解であり、正直あまり好きな言葉ではないのだが、言いえて妙なので使用させていただく。
さてこのギャルゲーというものは、その定義や起源が各個人の感覚によって異なるだろうが、ここではざっくりと、"女の子キャラがたくさん出てくるゲーム"として話を進める。とすると、PCEにギャルゲーが興るようになるのは、92年頃からである、と私は思っている。PCEオリジナルだけでなく、パソコンからの移植まで、様々なギャルゲーが登場した。なかでも、94年発売の「ときめきメモリアル」は、後のゲーム業界に大きな影響を与えたことだろう。
また、賛否両論あるだろうが、パソコンのエロゲーが表現を規制した形で家庭用ゲーム機に移植されるようになったのも、この頃からである。


94年当時、次世代機と呼ばれた3DOセガサターンプレイステーションPC-FXが登場する時期には、PCEは衰退期に入ったと言ってよかろう。
PSやSSの勢いはとにかく凄まじかった。PCEの人気ソフトやその続編は次から次へとPSやSSに持っていかれた。その一方で、後継機のPC-FXは情けなくなるくらいの体たらくで、96年くらいまでは、旧世代機のPCEの方が元気だったくらいだ。


PCE最終作となったのが「デッド・オブ・ザ・ブレイン 1&2」。
Piaキャロで有名なエロゲメーカーの老舗・エフアンドシーのブランドであるフェアリーテールから発売されていたホラーアドベンチャーの移植作で、99年に秋葉原の一部店舗限定で発売された。後継機のPC-FXよりも1年長生きした(FXは前年の98年に終了)。
PCEは87年にファミコンのライバル機として誕生し、SFC全盛期、PS・SSの覇権争いに、ドリームキャストが躍進する時代を見てきたわけだ。ゲーム機の性能が著しく向上していった時期に現役であり続けたことは、驚嘆するべきであろう。


しかし哀しいかな、NEC-HENECの家電部門の不振により解散、ゲーム事業から撤退した。ハドソンもコナミに呑み込まれてしまったし、PCEが復活するなんてことは、もはや望めないのだろうな。
・・・といった感じのことが思い浮かんだので、書き記しておいた。個人的に色々と思い出があるハードなので、近いうちにまた何か書いておこうと思う。