クーリエ・ジャポンを読んだ

今月号は表紙も巻頭特集も東北地方太平洋沖地震に関するもの。
本の制作期間を考えると、地震発生後に急遽、この地震に関する記事へと差し替えたんだろう。一刻も早くこの記事を読者に届けねば!という使命感というか熱意というか、そのようなものが伝わってきた。と、書いているところで余震があった。いやホント、参っちゃうよね。


“中国人や韓国人はなぜ日本人より英語ができるのか?”という記事も読み応えがあった。
まあアレだよね、エリート教育や学歴社会を是とする中韓と、それを否定してゆとり教育だのクソみたいなことをやってる日本じゃ、差が出てくるわな。
だいたいさ、多くの日本人にとって、英語を学び、話せるようになるメリットなんて、全くと言っていいほど無かったわけよ。3単現のsがどうだとかメガフェプスとか複合関係副詞とか、そんなの覚えたって、卒業して社会に出たらまず使うことないもんな。英語が出来ようが出来まいが、そこそこ高い水準の生活を送れる。より良い暮らしを求めて英語を勉強する必要なんて、多くの日本人にはどうでもいいことなわけよ。
ネイティブ並みに英語を話せる人は年収が倍になるとかの動機付けがあるとか、日本がどんどん没落していって異常なほどの格差社会になって、英語圏の連中に擦り寄らざるを得ない状況にでもなれば、みんな挙って英語を勉強して話すようになるんじゃない?
だからまあ、日本人の英語下手=日本はまだまだ大丈夫、てことなんだと思う。今はまだ英語だの外国語だのは、必要とする人とか学びたい人だけやりゃいいだろ、と。逆に、世界の人々をして日本語を学ばなきゃ、と思わしめるようにしないとな。


あと、「既得権益に守られた中高年層が日本の若者から“未来”を奪う」という、ニューヨーク・タイムズの記事もなかなかのもの。
年寄りがのさばるせいで若者に負担が掛かっているという指摘は鋭いね、と思った。
日本経済が失速したのは、色々と要因があるとは思うが、年寄りが後進に道を譲らず、いつまでも要所にしがみついてるというのせいでもあるよな、と。リレーで譬えるなら、次の走者にバトンを渡さず「まだまだ走れる!」と走り続けて、息切れして立ち止まってさえもバトンを渡そうとしないで、後ろの方を走っていた別チームの走者に追いつかれそうになってる、みたいな状態。
しかし年寄りの側からすれば、若い奴らがだらしないからだ、と言うだけだからね。困ったもんだ。


…と、ここまで書きながらテレビを見ていたのだが、今日で「関口宏東京フレンドパークII」が最終回だそうで。
その昔、私が中学生の頃だったか、平日の19時からの1時間、“ムーブ”というバラエティ番組枠が設けられていて、そのとき始まったのがこの番組(「II」になってるのは一旦終了してその後再開したから)。うちの爺さん婆さんがこの番組好きでねえ。今後、特番で復活するとかあるのかしら?
近頃のTBSって、アニメ(特に深夜アニメ)に強くなったよなあ、と思う。鈴ちゃんの腋とメリーちゃんのおへそをペロペロしたいなあ! ↑の方で真面目なことを書いてたら疲れたので、〆はやっぱりペロペロするのが一番。