PCエンジン30周年を祝す その2−1

そういえば、メディアワークスが25周年になるんだよね。ということで、自分の記憶を頼りに、あの頃のゲーム誌のことでも書いてみよう。読みにくかろうがほぼ自分用に書いているので気にしない。
まずはPCE専門誌から。PCエンジン専門誌として出ていたのは3誌(1992年末から4誌)。

小学館から「月刊PCエンジン」(1988-1994)。
コロコロコミックとハドソンがファミコン初期から深く繋がっていた関係もあって、最初はコロコロコミック増刊として刊行、後に月刊化した。表紙になぜかゴリラのイラスト(ゴリレオとかいう名だったか?)。
コロコロ増刊というとガキ向けと思いがちだが、本誌はハドソン・中本氏のコラムやハード面の情報もあって侮れない内容だった。また、アイドルにPCエンジンのゲームをプレイさせるページもあったりで、幅広い読者層を意識していたのだろう。
あと、読者ページのイラスト投稿コーナーが非常に充実していた。私はこのページが大好きでね、ここだけ切り取って保管してたっけなあ。この女の子のイラスト可愛いなあ、ってね、この時点でもうキモオタだったんだな。
93年末に本誌編集スタッフにより、後継誌?のゲーム総合情報誌「ゲーム・オン!」が創刊。スーファミ全盛期にして来るべき次世代機の登場に備えての刊行であった為(同時期に創刊した講談社のゲーム総合情報誌「覇王」に対抗したとも考えられる)、当然PCエンジンの情報は減少していった。「ゲーム・オン!」の創刊と入れ替わる形で、94年1月発売の3月号で休刊した。


徳間書店インターメディアから「PC Engine FAN」(1988-1996)。
ファミマガで有名な徳間書店のPCE専門誌で、表紙イラストは創刊時から高田明美氏が担当。他誌と較べたらページが少ないのに値段がちょいと高いので、92年くらいまでは内容や付録次第で買ったり買わなかったりだったな。
本誌は読者ページのレベルが非常に高く、読み応えがあった。イラスト投稿よりも文章投稿が中心で、読者による新作ゲームのレビューや、PCE関連のテーマで議論したりとか。ここに掲載された意見がきっかけとなり、当時入手困難だったソフトの再販が行われたこともあったのよ。私も高校生の頃からここに投稿するようになり、何度か掲載していただき、たいへん世話になったと感じている。
94年1月に「月刊PCエンジン」と「マル勝PCエンジン」が休刊し、96年6月に「電撃PCエンジン」(当時の誌名は「電撃G'sマガジン」)がPC-FX専門誌からギャルゲー総合情報誌への転換を図ったが、本誌のみは同年夏に休刊するまで唯一の専門誌であり続けた。
その後「Super PC Engine FAN」という誌名で、ムックの形式で復活。不定期刊で2号発売。


角川書店から「マル勝PCエンジン」(旧)(1988-1992.10)。
同社のファミコン専門誌「マル勝ファミコン」内のPCE情報ページとして誕生し、88年に「月刊PCエンジン」と同時に創刊。小学3年の頃から「マル勝ファミコン」愛読者だった私は、こっちも創刊時から愛読。「ムッシュゴリグリ鈴木ド・ヤコペッティの優雅な生活」という連載漫画が大好きだったのよ。
マル勝というか、角川系のゲーム誌の特徴といえば読者参加企画。「ファージアスの邪皇帝」はPCEでゲーム化もされたし、「女神スタジアム」は女神さまたちの可愛さ・美しさに毎回身悶えしてたっけね。
あと、読者ページも面白かった。91年頃には中村うさぎが“イボンヌ木村”名義でライターをやっていて、読者からイヌボンだのといじられていたのよ。また、この頃から徐々に、私も読者ページに投稿したい、という意欲が芽生えてきた。
92年当時、私は本誌が一番好きなゲーム誌だったのだが、同年秋にあの“角川お家騒動”が発生した。ざっくり言うなら会社を巻き込んだ兄弟喧嘩みたいなもので、主にゲーム・コミック誌がその影響を受け、本誌も92年11月発売号より、編集スタッフを総入れ替えして刊行、それまでの連載は悉く打ち切られていった。当時の私にとって、物凄くショッキングな出来事であり、同年末に電撃のゲーム誌が創刊するまで、たいそう落ち込んでいたのを覚えている。
まあそんなこともあったので、旧マル勝PCEは92年10月で終了、とした。


お家騒動後の角川書店から「マル勝PCエンジン」(新)(1992.11-1994.1)。
外部の編集プロダクション・マイクロデザインに委託する形で継続して刊行された。
誌名こそマル勝のままであったが、その内容は従来のものと全く異なってしまい、特に、リニューアル後の変貌は凄まじかった。これまでの連載は全て打ち切り、突如始まった謎の新連載。“死語シール”なる意味不明な付録、ライターの負荷を減らすためにゲームの画面の画像を多用して余白を埋めたかのようなレイアウト、目次でゲームのタイトルを間違える致命的な誤字・・・まあとにかく、質の低下が酷かった。
リニューアル直後の11月発売号(93年1月号)を読んだ時に私は、何じゃこりゃ!今までのマル勝を返せ!クソが!と激怒したものだ。現在ならば角川でお家騒動があったという情報は容易に得られようが、なにしろ25年前のこと、何が起こったのか分からないまま、突然変な連中にマル勝が乗っ取られた!と憤ったのも無理は無かろう。
私と同じように思った読者は大勢いたようで、リニューアル直後は読者からのクレームが殺到した。読者からのクレームなど、普通は黙殺してしまうものだが、本誌は真摯に対応した。読者ページにクレームとリニューアルの理由を伝えられる範囲で掲載したことは、評価するべきであろう(姉妹誌の「マル勝スーパーファミコン」でも同様の事象が見られた)。
これが奏功したのか、メディアワークスから電撃のゲーム誌が創刊したことで読者の怒りが収まったのか、リニューアル時の混沌とした状態が落ち着き、徐々に新生マル勝PCEが確立されていった。他誌を上回るボリュームに読者プレゼントは大盤振る舞い、新たに始まった読者参加企画や読者ページも順調のように見えたが、お家騒動での読者離れは止められず、94年1月発売号で休刊した。
余談になるが、マル勝PCE休刊後、この時の編集スタッフが中心となって、「ゲーム批評」が創刊されることになる。更に、マル勝PCE編集長は、現在ではマイクロマガジン社の社長を務めている。今思うと、お家騒動の敗戦処理のようなことをやらされていた訳で。仕事とはいえ辛かったろうなあ。


お家騒動によって角川書店から退社したスタッフが立ち上げたメディアワークスから「電撃PCエンジン」(1992-)が新創刊。
92年末に創刊した最後発の専門誌ではあったが、表紙から企画から何から何まで、以前の「マル勝PCエンジン」であった。これまで連載してきた企画も名前を変更して再スタートしたこともあって、旧マル勝読者から絶大な支持を得た。私自身、物凄く嬉しかった。前月号のマル勝で突如打ち切られた「ムッシュゴリグリ鈴木ド・ヤコペッティの優雅な生活」「女神スタジアム」が、本誌で「しろー駄作劇場」「女神天国」として始まったのだから! この時の感激を忘れられず、恩義すら感じていて、創刊号から全号買い続け、捨てずに保管しているのよ。
本誌は94年1月のマル勝、月刊PCE休刊後も順調に刊行されていった。当時のPCE事情に沿った形で、次第にギャルゲー情報が増えていったが、現在のG'sのようにキャラのみにスポットを当てるのではなく、ゲームの攻略情報の方に重きを置いていた。あのPCE版「ときめきメモリアル」を正当に評価し、攻略情報を掲載した、数少ないゲーム誌である。
96年春に「電撃G'sエンジン」と誌名を変更した。当時PCEは末期、後継機のPC-FXは全く勢いがない。その一方で、PSやSSのギャルゲーの勢いたるや凄かった。今更PCEに拘る必要などなかろう、ということだろう。“G”はGalとGameの頭文字から、つまりはギャルゲーの意味。“エンジン”を残したのは創刊時からの読者への僅かばかりの配慮だろうか。誌名こそ変わったものの、一応はPCEやPC-FXの情報を優先して取り扱う姿勢が見られた。
しかし翌97年夏に「電撃G'sマガジン」と誌名変更すると、そうした配慮は一切見られなくなった。PSやSSのギャルゲーが優先され、PCEやPC-FXはその他扱い。誌名変更した途端の冷遇っぷりには驚かされたが、98年に発売されたPC-FX最後のソフト「ファーストKiss☆物語」の情報を掲載し続けた唯一のゲーム誌であった。


こういうのを書いていると、当時のことを思い出すね。
高校生の頃には、朝4時半頃に起きてコンビニへこれら4誌を買いに行ってたんだよな。これが月末の楽しみでね、とにかく、1分1秒でも早く読みたかったのよ。
それにしてもあのお家騒動から25年か。早いものだな。